音楽のことなど、つれづれなるままに
by raccoon560
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ラ・ヴァルス
オーケストラ音楽だったらR.シュトラウスの「死と浄化」を
自分のイメージのままに再生することだと書いていた。
私にとって そのような究極の課題曲は、オーケストラ音楽だったら
ラヴェル作曲の「ラ・ヴァルス」だ。
これまで何十種類のレコードを購入したかわからないが、
かれこれ40年ぐらい走り水のような幻のイメージを追いかけている気がする。
それほどのオーディオ難曲なのである。
CDが出てから良く聞いたのは、プレヴィン指揮VPOのフィリップス盤で
これは実に演奏も録音も優れたディスクだった。
当時のCD再生は、現在に比べれば至らないところが多々あったが
この「ラ・ヴァルス」を聴くと もはやLPには戻れないと痛感させられた。
言いかえれば自分の場合は、そうした再生を志向していたから
早い段階で LPからCDに移行できたのだろう。
現在は ヤンソンス指揮RCO-Live とパーヴォ指揮シンシナティのテラーク盤という
2種の優秀録音SACD盤を聴く。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2694000
「ラ・ヴァルス」~英語では The Waltz つまり「究極の円舞曲」だ。
この曲は、「オーケストレーションの魔術師」と言われたラヴェルのマジックが
凝縮されていると思う。
オーケストラの鮮やかな色彩感、炸裂するような激しいダイナミック・レンジ
心をとろかすような官能的な響き・・・
オーケストラの様々な楽器固有の音色を 原色的にポンポン羅列するのではなく
色々な音色の要素を組み合わせて上記のような表現を成し遂げる・・・
その仕掛け造りの巧みさがラヴェルならではなのだ。
オーディオで再生する時は、特に冒頭の2分間ぐらいが厳しい。
2つにわかれて違うことを奏でるコントラバス群、それにハープの低音
ファゴット、ヴィオラ・・・・と
中低音から低音でモヤモヤモヤモヤしている。
音楽の輪郭をきっちり描き出す楽器が登場しない。
だから中学生で初めて聴いた時は、この最初の2分で匙を投げて針を上げてしまった。
低音がブオブオ・モヤモヤする・・・オーディオ再生で皆が最も忌み嫌うようなサウンドに
どこか共通点があるのだ。
しかし そこに装置の調整の不備でヘンテコリンに聴こえるのか
実際ヘンテコリンな響きなのか・・・が中学生の時にはわからなかった。
映像に例えると 鮮明な映像を鮮度感を落とさずあるがまま鮮明に伝達するのも大事だが
「ボケ味」みたいなものをキチンと伝えるのはさらに難しいのではないか。
例えば、モネ描くルーアンの大寺院や睡蓮は、現実的なかっちりしたフォーカス感が失われたところに
光のふるまいの美しさを捉えているが
それを伝えるためには 真の高解像度が必要なわけである。
話はラヴェルから大きく脱線したが、昨日N響演奏会で収録された「ラ・ヴァルス」の映像を見ていて
この「ラ・ヴァルス」という曲の場合は、映像を見ることで色々なオーディオ再生のヒントが掴めるのではないかと思った。
オーディオ・マニアにスコア(楽譜)を見なさい・・というのは酷だと思うが
映像付きで観ることは、生の演奏に接するのと同様に
楽譜を読むに匹敵するような多くのイメージを得ることが出来る・・・あらためてそう思った。
#
by raccoon560
| 2012-07-16 10:30
| オーディオ
Good Enough
「日本人は すぐベストを求めるけれど、われわれはGood Enough(必要にして十分良い)が
様々な観点から達成されていることを 重視している・・・」
ボーイング787開発陣の発言だそうだ。
「Good Enough」 良い言葉だ・・・心に響いた。
自分のオーディオ趣味の基本的な行動理念とも一致しているように思った。
世間一般の人からみれば 我が家のオーディオ装置はキジ×シがたくさんつくような過剰なものかもしれないが
自分にしてみれば、Good Enoughだと思う機材の集積なのだ。
必ずしもベストだと考えているわけではない。
個々のコンポーネントごとに見れば、自分が使っているものよりも 優れた機材が常にあって
音質的に魅力のあるハイエンド機材を試聴すると 人並みに欲しいなぁ・・・とは思う。
でも 心のどこかで理性が、「これは道具に過ぎないんだぞ・・・Good Enoughで良いんじゃないか」と
ブレーキがかかるのだ。
およそオーディオ・コンポーネントの場合は、あるパートでベストなものを用いようが
それ以外でも様々な機材を君合わせ、室内の音響をかんがみ、ソフトを吟味して
自分でコントロールして 「音楽」を再生するというのがキモだから
その全体の系が上手く機能することが、個別のパーツの性能よりも多くの場合重要ではないだろうか。
ただ ごく稀に つきつめた世界の先に フェルメールの「青」のような
この高価なラピス・ラズリという顔料しかないみたいな出会いがあるのかもしれない。
別な見方をすると「ベスト」という考え方は、どこか弱さというか脆さがあるように思えてならない。
理想的なベストなものというのは 実際はこの世に存在しないものだ。
それを 世評だったりデータで納得しようとしているのではないだろうか。
要するに「ベスト」なものには そうした共同幻想的な危うさがあるように私は感じる。
それに対して「Good Enough」は もっと地に足がついた自主性というか
「自分は これで ことが成し遂げるのだ」という「意思」を感じるのだ。
様々な観点から達成されていることを 重視している・・・」
ボーイング787開発陣の発言だそうだ。
「Good Enough」 良い言葉だ・・・心に響いた。
自分のオーディオ趣味の基本的な行動理念とも一致しているように思った。
世間一般の人からみれば 我が家のオーディオ装置はキジ×シがたくさんつくような過剰なものかもしれないが
自分にしてみれば、Good Enoughだと思う機材の集積なのだ。
必ずしもベストだと考えているわけではない。
個々のコンポーネントごとに見れば、自分が使っているものよりも 優れた機材が常にあって
音質的に魅力のあるハイエンド機材を試聴すると 人並みに欲しいなぁ・・・とは思う。
でも 心のどこかで理性が、「これは道具に過ぎないんだぞ・・・Good Enoughで良いんじゃないか」と
ブレーキがかかるのだ。
およそオーディオ・コンポーネントの場合は、あるパートでベストなものを用いようが
それ以外でも様々な機材を君合わせ、室内の音響をかんがみ、ソフトを吟味して
自分でコントロールして 「音楽」を再生するというのがキモだから
その全体の系が上手く機能することが、個別のパーツの性能よりも多くの場合重要ではないだろうか。
ただ ごく稀に つきつめた世界の先に フェルメールの「青」のような
この高価なラピス・ラズリという顔料しかないみたいな出会いがあるのかもしれない。
別な見方をすると「ベスト」という考え方は、どこか弱さというか脆さがあるように思えてならない。
理想的なベストなものというのは 実際はこの世に存在しないものだ。
それを 世評だったりデータで納得しようとしているのではないだろうか。
要するに「ベスト」なものには そうした共同幻想的な危うさがあるように私は感じる。
それに対して「Good Enough」は もっと地に足がついた自主性というか
「自分は これで ことが成し遂げるのだ」という「意思」を感じるのだ。
#
by raccoon560
| 2012-07-14 11:12
| オーディオ
ハイレベルでの切磋琢磨
写真は、 アムステルダムのロイヤル・コンセルトヘボウ・オーケストラの
9月から始まる新しいシーズン(2012-2013)の演奏会プログラム。
帰りの飛行機で暇つぶしに読もうか・・・と貰って来たものの
そんな体力は残っていなくて 今頃パラパラと眺めている。
アムステルダムでの新シーズン開始の定期演奏会に先だって
8月末から9月初頭にかけてルツェルン音楽祭とベルリン芸術週間に出演する。
この曲目が意欲的で痺れた! 聴いてみたいなぁ・・・
指揮はもちろん 音楽監督マリス・ヤンソンス
シェーンベルク 「ワルシャワの生き残り」
ストラヴィンスキー 詩編交響曲
バーバー 弦楽のためのアダージョ
ヴァレーズ アメリカ
ちなみにルツェルン音楽祭では もうひとつ
バルトーク バイオリン協奏曲第2番 (ソロは カヴァコス)
マーラー 交響曲第1番「巨人」という Bプログラムも用意している。
それにしても シェーンベルクからエドガー・ヴァレーズに至るプログラム
ベルリンのフィルハーモニーで ヤンソンス指揮RCOが本気で演奏したら
さぞかし凄いだろうなぁ・・・と思う。
またそれを受け止める質の高い聴衆がいるということも素晴らしい。
おそらく聴きに来るベルリン・フィルのメンバーも大いに刺激を受けることだろう。
6月にウィーンに行った時に バレンボイムがベルリンのシュターツカペレを率いて
ムジークフェラインで ブルックナーの交響曲チクルスをやっていたが
それらのような「真剣な殴り込み」のような客演が刺激となって
演奏クオリティのレベルを高め合っているんだろうなぁ・・・と思う
9月から始まる新しいシーズン(2012-2013)の演奏会プログラム。
帰りの飛行機で暇つぶしに読もうか・・・と貰って来たものの
そんな体力は残っていなくて 今頃パラパラと眺めている。
アムステルダムでの新シーズン開始の定期演奏会に先だって
8月末から9月初頭にかけてルツェルン音楽祭とベルリン芸術週間に出演する。
この曲目が意欲的で痺れた! 聴いてみたいなぁ・・・
指揮はもちろん 音楽監督マリス・ヤンソンス
シェーンベルク 「ワルシャワの生き残り」
ストラヴィンスキー 詩編交響曲
バーバー 弦楽のためのアダージョ
ヴァレーズ アメリカ
ちなみにルツェルン音楽祭では もうひとつ
バルトーク バイオリン協奏曲第2番 (ソロは カヴァコス)
マーラー 交響曲第1番「巨人」という Bプログラムも用意している。
それにしても シェーンベルクからエドガー・ヴァレーズに至るプログラム
ベルリンのフィルハーモニーで ヤンソンス指揮RCOが本気で演奏したら
さぞかし凄いだろうなぁ・・・と思う。
またそれを受け止める質の高い聴衆がいるということも素晴らしい。
おそらく聴きに来るベルリン・フィルのメンバーも大いに刺激を受けることだろう。
6月にウィーンに行った時に バレンボイムがベルリンのシュターツカペレを率いて
ムジークフェラインで ブルックナーの交響曲チクルスをやっていたが
それらのような「真剣な殴り込み」のような客演が刺激となって
演奏クオリティのレベルを高め合っているんだろうなぁ・・・と思う
#
by raccoon560
| 2012-07-13 09:59
| 音楽
ヤクルト。ホール
クライツベルク指揮オランダ・フィルのドヴォルザーク 交響曲第8番
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2566168
このディスクが録音されたのは アムステルダムのヤクルト・ホールということなのだが
それがどんなホールなのか、これまで良くわからなかった。
私にとっては 謎のホールである。
今回のアムステルダム訪問で このホールは
アムステルダムの中心部ダム広場に近く 地元ではBEURS(バース)と呼ばれる
歴史的建造物・旧証券取引場の中にあることがわかった。
BEURS自体は 非常に大きな建物で その中の
おそらくかつての宴会場だったと思われる大きな広間が
コンサート・ホールに改装され、ヤクルト・ホールと名付けられていた。
天井が非常に高い直方体、まさにシューボックスという空間で
席は1F平土間だけで バルコニー席は無く 全部で1000席ぐらい。
コンセルトヘボウの伝統を受け継いで ステージは高い。
オランダ・フィルは ここを本拠地としており
リハーサルと演奏会両方で使っているとのこと。
次回は、是非ここで コンサートを聴いてみたいものだ。
#
by raccoon560
| 2012-06-26 07:28
| 音楽
サンクチュアリ
長いことクラシック音楽のレコードを聴いてきた結果
未知の名曲に初めて出会うという新鮮な体験が 残念ながら少なくなってきた。
しかし まだまだあまり足を踏み入れていないジャンルもある。
それは オペラ、声楽曲、宗教音楽といった分野だ。
その中でも 宗教音楽はクラシック音楽のサンクチュアリ(聖域)であり
非常に奥深い世界であろうということは 頭ではわかっていても
これまで それほど積極的に聴こうと思わなかった。
モーツアルト学者の海老澤敏先生から「モーツアルトの作品の中で最も多いのは宗教音楽なのだ。
宗教音楽を知らずしてモーツアルトは語れない」といった高説を賜っても
ついつい馬の耳に念仏で聞き流していた。
それが 去年の大震災の後に バッハの音楽に沈潜したことから
自分の中で ある種の古典回帰みたいな気分が発生し、
バッハでも これまでマタイ受難曲に比べて馴染みがなかったロ短調ミサを聞いたり
ベートーベンの荘厳ミサのCDを新たにひもといたりしている。
そうしてあらためて実感した。
たしかに古典派の宗教音楽は、驚くべきほど豊かな名曲の鉱脈だ。
その中でも あまり知られていなくて是非皆さんに紹介したい作品が
ハイドン作曲「ハルモニー・ミサ」だ。
自分も最近この曲を知って とても嬉しかった。
こんな名曲を これまで知らないでいたのが不思議なぐらいだ。
ハイドンの宗教曲と言えば、「天地創造」「四季」という2つの大作が
最も有名だが その他にも12曲のミサ曲を残している。
「ハルモニー・ミサ」は その最後のものだ。
ロンドン・セットの交響曲や晩年の弦楽四重奏に聴かれるような
ハイドンの音楽の魅力が 豊かな響きとともにあふれ出るような名曲だと思う。
オーディオ・ファン向けには
ヤンソンス指揮バイエルン交響楽団・放送合唱団の演奏による
SACDがリリースされているので そちらをお薦めする。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3670857
今風な古楽器奏法によるものではなく、ドイツ・オーストリアのオーケストラによる
いかにも伝統的な滋味豊かな演奏である。
これは 元々バイエルン放送協会のヴィデオ・プロジェクトだったようで
非常に美しい教会で ライブ収録されており
DVDもリリースされている。
教会の長い残響が 非常に美しく収録されているので
そういうタイプの録音を好むオーディオ・ファンには歓迎されるディスクだろう。
未知の名曲に初めて出会うという新鮮な体験が 残念ながら少なくなってきた。
しかし まだまだあまり足を踏み入れていないジャンルもある。
それは オペラ、声楽曲、宗教音楽といった分野だ。
その中でも 宗教音楽はクラシック音楽のサンクチュアリ(聖域)であり
非常に奥深い世界であろうということは 頭ではわかっていても
これまで それほど積極的に聴こうと思わなかった。
モーツアルト学者の海老澤敏先生から「モーツアルトの作品の中で最も多いのは宗教音楽なのだ。
宗教音楽を知らずしてモーツアルトは語れない」といった高説を賜っても
ついつい馬の耳に念仏で聞き流していた。
それが 去年の大震災の後に バッハの音楽に沈潜したことから
自分の中で ある種の古典回帰みたいな気分が発生し、
バッハでも これまでマタイ受難曲に比べて馴染みがなかったロ短調ミサを聞いたり
ベートーベンの荘厳ミサのCDを新たにひもといたりしている。
そうしてあらためて実感した。
たしかに古典派の宗教音楽は、驚くべきほど豊かな名曲の鉱脈だ。
その中でも あまり知られていなくて是非皆さんに紹介したい作品が
ハイドン作曲「ハルモニー・ミサ」だ。
自分も最近この曲を知って とても嬉しかった。
こんな名曲を これまで知らないでいたのが不思議なぐらいだ。
ハイドンの宗教曲と言えば、「天地創造」「四季」という2つの大作が
最も有名だが その他にも12曲のミサ曲を残している。
「ハルモニー・ミサ」は その最後のものだ。
ロンドン・セットの交響曲や晩年の弦楽四重奏に聴かれるような
ハイドンの音楽の魅力が 豊かな響きとともにあふれ出るような名曲だと思う。
オーディオ・ファン向けには
ヤンソンス指揮バイエルン交響楽団・放送合唱団の演奏による
SACDがリリースされているので そちらをお薦めする。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3670857
今風な古楽器奏法によるものではなく、ドイツ・オーストリアのオーケストラによる
いかにも伝統的な滋味豊かな演奏である。
これは 元々バイエルン放送協会のヴィデオ・プロジェクトだったようで
非常に美しい教会で ライブ収録されており
DVDもリリースされている。
教会の長い残響が 非常に美しく収録されているので
そういうタイプの録音を好むオーディオ・ファンには歓迎されるディスクだろう。
#
by raccoon560
| 2012-06-08 11:46
| 音楽